中村ただしの初心(3) 我が国における次世代の党の使命

 平成26年8月1日に次世代の党が結成され、当方は次世代の党の支部長を拝命いたしました。9月16日には結党大会・支部創立総会の開催により正式に組織として出発し、10月20日には、我々次世代の党の核心的な使命をお伝えすることを目的として、支部にて「次世代の党オリエンテーションセミナー」を開催し、「我々がまさに存在するこの平成26年の日本国に次世代の党が生まれたのはなぜなのか」という点をお話しさせていただきました。

 以下は、セミナーにおいて実際にお話しした内容に、文章としての読みやすさ等の観点から編集を加えたものです。



一 ヘーゲルの「世界精神」

 先日、松山におきまして石原慎太郎最高顧問のご講演、1時間にわたるものでございましたけれども、こちらを聴く機会がございました。どんなお話だったかと申しますと、「日本人は歴史を知らない」ということをおっしゃっておられました。これはどういうことなのか、ということでございますが、そこが、非常に次世代の党の核心部分と繋がってまいりますので、今日は、その辺りのお話を中心にしていきたいと思っております。

 石原先生がよくお使いになるフレーズとして、「僕の好きなヘーゲルって哲学者が」ということをおっしゃっておられます。私もヘーゲルというのは大好きでございまして、このヘーゲルという哲学者はいろいろなことを言っているのですけれども、今日の話題との関連で申しますと、一番大切なのは「世界精神」というお話だと思うんですね。

 ヘーゲルというのはドイツの哲学者でございまして、「世界精神」をドイツ語で申しますと、「ヴェルトガイスト」(Weltgeist)となるわけでございます。「ヴェルト」(Welt)は「世界」で、英語でいえばワールド(world)ですね。「ガイスト」(Geist)というのは「精神」でございます。例えば、「闘魂」という場合に「カンプフガイスト」(Kampfgeist)などと訳されておりますけれども、このように、「ガイスト」というのは「たましい」という意味でございます。

 それでは「世界精神」とは何かということになりますが、実は、字面とはちょっと異なる内容をもつ概念ですので、まずはその辺りの説明を少し長めにしておきたいと思います。

 例えば、歌謡曲でも何でも「流行り」というものがございます。そして、なぜそれが流行ったのかというのには、必ず理由というものがある、というのが、このヘーゲルの根本的な考え方でございます。なぜこの時間(平成26年)のこの場所(日本という国)において、例えば『アナと雪の女王』の「ありの~ままの~」という、あの歌が流行ったのか、という、そういうことにはすべて理由があるんだ、というのがヘーゲルの考え方なんですね。つまり、なぜ流行ったかといえば、それが「世界精神」に適合するから流行ったのだ、という風に考えるわけです。つまり、「世界精神」というのは何かといえば、歴史における《流れ》のようなもののことを「世界精神」と呼んでいるわけです。

 ですから、例えば政治家であれば、歴史の流れに適合した政治家が歴史の舞台に出てきて、後世に名を残すということになるんですね。有名な話として、ナポレオンが馬に乗ってやって来るのを見て、ヘーゲルは「世界精神が馬に乗っている」と言ったそうです。これはどういうことかと申しますと、このナポレオンという政治家(軍人でもありますが)は、「世界精神」にまさに適合しているからこそ、フランスの皇帝になって、ヨーロッパのほとんどの部分をフランスの領土にすることができたわけです。そういうことを指して、ヘーゲルは「世界精神が馬に乗っている」と表現したわけでございます。

 この「世界精神」について、我々にとって大事なのは、なぜこの次世代の党がこの平成26年のこの日本国に誕生したのかという点を探っていくことです。そして、そうすることが、おそらく一番分かりやすいのではないかと思いますので、まずは、そこからお話を始めさせていただきます。

 そうそう、一つ言い忘れましたが、うちの支部では次世代の党の『党員手帳』というものをつくっております。そして、その一番最後に「名言集」というのがございまして、これは、私が好きな言葉を勝手に集めたものでございます。そのうちの一つでございますが、小林一三さんという方がおられまして、この方は企業家で、戦前に阪急をつくられて、商工大臣まで務められた方でございます。その方がおっしゃっているのが、「百年先の見える者は気狂いにされ、現状に踏み止まる者は落伍者になる。十年先きを見て実行する者は成功者となる」ということでございます。

 まぁ、例えばニーチェのように、余りにも先が読めすぎる人というのは、世の中からまったく相手にされないわけです。実際にも、この平成26年、西暦で申しますと2014年に、100年後の2114年の話をしても、今生きている人にとっては、そもそもどれだけの人が生きているか分かりませんし、やはり人間というのは自己中心的な生き物ですから、100年後というのは自分に直接関心があるわけではないんですね。そうではなく、予め10年先の「世界精神」を見越して、そこに向けていろいろと準備して動いていくと、そのうちに人々のほうが追いついてきて、世界精神にのっとったことができると、そういうことだと私は理解しております。

 ですから、「世界精神」というのは、私は、何をやるにも大事なことだと思っております。もちろん、政治をやるにも大事ですし、あるいは、商売をやるにしても「世界精神」というのは大事ですね。あるいは、歌を歌ったりとか、そういうことをやるにもやはり「世界精神」というのは大事なんですね。これから、そういうサブカルチャーの部分も含めてお話ししていきたいと思いますが、先程ご紹介いただいたように、私は西暦でいいますと1977年生まれでございます。ですので、余り昔のことは自分自身で体験したわけではございませんので、勿論あとからそういう昔の話も出てまいりますが、まずは、自分自身で実際に体験した身近なお話から始めていきたいと思います。


二 日本の「ありのままの姿」

 1980年代というのは私が物心ついた頃でございますが、当時日本はバブル景気でございまして、バブルで皆すごく盛り上がっておりました。日本の経済がガンガン成長している時でございまして、そこで、有名な言われ方として、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という言われ方がされておりました。

 これはどういうことかと申しますと、1945年に日本が負けて、本当に焼け野原になって、経済活動がまったく行えないような状況になってしまったわけですが、そこからどんどん奇跡の復興を遂げて、1980年代にナンバーワン、つまり世界一になったということでございます。戦後の日本人というのは、まさにそこを目指していたわけなのですが、いざ一番になってみると、「あれっ?」と思ったわけです。「あれっ、一番になったけど何も起こらないよ」と。さらに言えば、何も起こらないどころか、それまで一番を目指して皆がんばってきたのに、それを達成してしまったので、一気に気が抜けてしまったわけです。ですから、「もうどこを目指していいのか分からない」という、そういう漂流する時代になってしまったわけです。

 それで、そのあとどういうことが起こったかといいますと、来るべくして、「失われた20年」という経済的にもドン底の時期がやってきたわけでございます。今は、それよりも経済がちょっと良くなってきていますが、それもまた、やはり理由のあることだと思うんですよね。

 そこで、サブカルチャーを見ていきたいと思うのですけれども、2000年代(今から10年前くらいですね)にどんなものが流行ったかというと、例えば、SMAPの「世界に一つだけの花」という歌が流行りました。非常に印象的な歌詞でございまして、「ナンバーワンにならなくていい、もともと特別なオンリーワン」という歌詞なんですね。

 日本は1940年代に戦争に負けて、ナンバーワンを目指してきた。そして、1980年代に達成した。それで、それがいかに馬鹿げた目標であったかということをそのときに認識して、「あ、ナンバーワンなんかにならなくてもいいんだ」ということに日本人は気づいたわけです。そして、そんなことよりも「もともと特別なオンリーワン」であることが大事なんじゃないかなってことに、気づき始めたということです。ここまでが2000年代くらいまでの歴史の流れ、すなわち「世界精神」です。

 それで、その10年後の今年(2014年)は、先程もちょっと触れた『アナと雪の女王』のテーマソングが流行りました。「ありのままの姿見せるのよ、ありのままの自分になるの」というあの歌が、もちろんディズニーの戦略なんかもあると思うんですけれども、この日本国においても流行ったというのは、やはり理由のないことではないと思うのです。

 どういうことかと申しますと、近年の日本人は、私なんかも含めてですけれども、「今の日本という国は、ひょっとしたら、ありのままの姿ではないんじゃないか」ということに、日本人が何となく気づきかけているのです。この「ありのままの姿」ということについては、私自身も最近になって「日本のありのままの姿」というのは何なんだろう、ということを追い求めるようになって、それで、「あ、もしかしたらこういう風かもしれない」ということにようやく気づいてきたような段階ですので、ほとんどの日本人にとっては、何となく「おかしいな」とは思っていても、それが「なぜそういう気持ちをもつのか」という具体的なところまではいかないでしょうし、ましてやその問題を解決するというのもなかなかできないという、そういうもどかしい状況だと思うんですよね。

 そこで、先程の「十年先きを見て実行する者は成功者となる」というお話ですけれども、我々としては、やはり10年後くらいには日本人が皆そういうことに気づいてくれるのではないかなということで、だからこそ、我々次世代の党というのはこの平成26年というタイミングで生まれたのではないかな、ということを思っているわけです。つまり、我々は、歴史の流れにあって、水先案内人のように日本人を導いていく役割を担っているわけでございます。

 少し話は戻りますけれども、ナンバーワンを目指すというのは、やはり価値観としてちょっと歪んでいるんですよね。どちらの国とは申しませんが、すべてにおいてやたらと「うちがナンバーワンだ」と言い回りたがる国がありますけれども、まぁ、普通の人間関係を考えてみても、人間同士で普通に接していて、「俺はお前より上だよ」なんて余り言わないですよね。それを敢えて毎回言わないと気が済まないというのは、やはり、普通の人間関係としてもおかしいものを感じますし、何となく人格的にも歪んだものを感じます。かつての日本も、ああいう風なアピールまではしませんでしたけれども、ナンバーワンを目指すということ自体については、或る程度歪んだ姿だったんじゃないかなということは思うんですよね。

 ですから、そういうものではなく、「本来のありのままの日本」というものを探していくということを、今後10年くらいで日本人はやっていくのではないかなということを、今思っているわけでございます。ですから、我々としては、それにさきがけて、オピニオンリーダーとして「日本のありのままの姿」というものをまず正確に知ろうじゃないか、ということが重要になってまいります。そして、まさにそれこそが、今回のセミナーの一番大事な目的なのでございます。


三 日本はなぜ日本であるのか

 そこで、どうやってこの「日本のありのままの姿」を探っていけばいいかというと、やっぱり歴史なんですよね。ヘーゲルの話でもそうですけれども、歴史というのは、ちゃんと見ていけばいろいろなことに気づかせてくれるものですし、とりわけ日本の歴史というのは、本当にいろいろなことに気づかせてくれる、そういう歴史であるわけです。

 日本においては、かなり昔に中国から紙が伝わってまいりましたので、歴史を記述するということが長らく可能だったわけでございます。そしてそれは非常にありがたいことなのでございます。そういう記録手段がなかった国というのは、自国の歴史を持っていない場合も結構あるのです。その中にあって、日本という国においては、一番古い歴史書が『古事記』と『日本書紀』ですけれども、少なくとも8世紀にはそういう歴史書があって、それ以前の歴史を知ることができるのであり、このことは本当にありがたいことなのでございます。そのありがたい遺産を存分に生かして、我々は国のかたちというものを探っていこうと思うわけでございます。

 『古事記』・『日本書紀』においてどこが一番起点となっているかといいますと、《神様》なんですね。昨日も久喜の市民まつりで神話の紙芝居をやりましたけれども、「国のはじまり」というお話もございまして、これはAさんの自作の紙芝居なのですけれども、Aさん、日本のはじまりはどういう神様からはじまっているか、教えていただけますか。

Aさん「アメノミナカヌシの神(天之御中主神)です」

 ありがとうございます。その通り、アメノミナカヌシの神という神様でございまして、こちらは姿のない神様でございます。そのあと、何代か姿のない神様があらせられて、そのあと、一番最初に姿をお持ちになったのは、どちらの神様ですか。

Aさん「イザナギとイザナミの神です」

 そうです。イザナギとイザナミの神です。ここが、日本の歴史の起点となっているわけでございます。そして、イザナギとイザナミという神様の御子としてお生まれになったのが、皇室の祖先神であるアマテラスオオミカミ(天照大神)でございます。そして、アマテラスオオミカミから何代か下って、最初の天皇になられたのが神武天皇でございます。

 この神武天皇が即位されたのが、皇紀元年でございます。皇紀で申しますと今年は2674年になりますので、神武天皇が即位されたのが2674年前ということになるわけでございます。具体的な年代が始まったのがここでございます。

 日本という国の歴史のはじまりをどこにするかというのは、なかなか難しい問題であるわけでございますけれども、建国ということで申しますと、建国記念日(2月11日)というのは神武天皇が即位された日でございますから、この考え方からすれば、この皇紀元年が日本国の建国ということになります。ですから、この皇紀元年から現在に至るまでの日本の歴史において、何が日本国を日本国たらしめているのか、ということを、まずは調べていく必要があるわけでございます。

 ここでちょっと他の国のお話をしようかと思うのですけれども、例えば中国の歴史を見てみますと、秦という一番最初の皇帝を輩出した王朝があります。その前にも夏とか殷とか周とか王朝はありましたけれども、皇帝というものを一番最初に輩出したのがこの秦という王朝でございまして、何が秦を秦たらしめているかといいますと、これは皇帝の家なんですね。ちょっと難しい字なんですけれども、贏(えい)氏、つまり、贏さんという家の人が皇帝になる国が秦であったわけです。そして、この秦を倒したのが漢でございます。この漢の皇帝は、劉(りゅう)氏でございます。初代の皇帝は劉邦と呼ばれる人で、この人はいろいろと伝説があって、大蛇を刀で斬ったとか、内股に黒子がたくさんあったとか、いろいろとありますけれども、ここで言いたいのは、劉氏が贏氏を倒すことによって秦という国は漢という国に替わったということでございます。つまり、皇帝の家が別の家に替わるということと、国が別の国に替わるということは、同じことだったわけです。

 そして、こういう国の移り替わりというのが、中国においてはもの凄く頻繁にあったわけでございます。秦、漢、そのあとは三国時代と申しまして、魏・呉・蜀の三国が三者三様で皇帝を名乗っている時代がございました。さらにそのあとにまた晋という国ができてと、何度も替わっているわけでございます。現在の中華人民共和国に至るまでに、その前は中華民国、その前は清ですけれども、まぁこれが連続的なものと見ていいのかという問題はありますけれども、とりあえず、どんどん王朝が替わっているということを認識していただければと思います。

 それに対して、我が国においては、神武天皇以来、ご皇室がずっと天皇という位に就いておられる。昔は大王(おおきみ)と呼ばれておりまして、聖徳太子の頃に天皇という称号を使うようになりましたが、これは王朝が替わったということではなくて、同じ家の方々が連綿と天皇という位を受け継いでいるわけでございます。

 そして、日本の歴史を見ると、実は、このご皇室以外には、歴史を通じて変わらない要素というのは見出せないわけです。例えば、権力の所在を見てみると、藤原氏が権力を持っていたりだとか、或いは平氏が権力を持っていたりだとか、或いは、鎌倉幕府であれば源という家が権力を持っていたりだとかと、どんどん変わっていってしまう。また、経済体制を見てみても、公地公民ということをやって私有財産は認めませんよという経済体制を採ったこともありますし、現在のように私有財産は認めますよという経済体制を採っていたこともあるわけです。こういう権力の所在とか経済とかさまざまな要素を見ていくと、2674年前からずっと同じで変わらない唯一の要素こそがご皇室である、ということが歴史から明らかになるわけでございます。

 その証に、ご皇室にあっては名字というのがもはや全く分からないわけでございます。中国におきましては、王朝そのものは日本よりも昔からあるわけですけれども、頻繁に変わっているので、前の王朝はこういう名字だったということが記録にも残っていて分かっているわけです。これに対して、日本においては、人間の記憶の辿れる大昔からずっとご皇室が天皇の位に就いておられるので、そもそも名字が何だったかということを誰も知らない、ご皇室自体も知らない、ということになっているのでございます。

 「易姓革命」という用語がございまして、これは「姓が易(か)わる革命」ということなのですけれども、中国においては、王朝の名字が変わることによって国が替わることを「革命」と呼んでいたわけでございます。こういう「革命」という言葉の本来の意味からすれば、「日本は一度も革命が起こっていない国である」という風に言い換えることもできるわけです。

 かつて宮澤俊義という憲法学者が「八月革命説」という学説を唱えておりました。私はもともと憲法の研究者でしたが、この「八月革命説」には反対でございます。さきほども申し上げました通り、本来の用語法からすれば「革命」という語は易姓革命のことを指しているのであって、もちろん敗戦によって国の基本方針は或る程度変わった部分がありますけれども、それは「革命」ではないわけでございます。「革命」というのは王朝の姓が変わることにより別の国になるということでございます。日本ではこの意味で「革命」が起こったことはなく、日本が日本でなくなったことは一度もないわけでございます。つまり、ご皇室が変わらずにご皇室であり続けることで、日本はずっと同じ日本という国であり続けている、ということでございます。


四 「思いやり」の統治

 では、中国においてはこんなに頻繁に王朝が替わっているのに、なぜ日本においてはこんなに長い間王朝が替わらなかったのでしょうか。やはり、それは何か技術というか、一定の理由がなければ、そんなに長く続くはずはないわけでございます。どうしてそういうことが可能だったのかということを考えてみると、いくつかの要素を挙げることができると思います。

 さきほどお配りした「大日本帝国憲法発布勅語」は、私自身非常に感銘を受けましたので、支部でも毎回朗読することにいたしました。原文はさきほど読みましたので、今回は訳のほうだけ、Bさん、読んでいただけますでしょうか。

Bさん「この日本国が栄え、日本国民が幸せになることこそが、朕の最高のよろこびです。
 代々の天皇がこの日本国を建国して永続的に継承することができたのは、日本国民の代々のご先祖様たちの協力とサポートによるものです。
 日本国がこの輝かしい歴史を有するのは、代々の天皇が威厳と人徳を備えるとともに、代々の国民が忠実・勇敢で国を愛し公共のために尽くしたことの結果なのです。
 当代の日本国民は、歴代天皇の忠実で善良な国民の子孫であるのだ、ということを朕は思い起こします。」

 どうもありがとうございました。これは大日本帝国憲法と申しまして、まぁいろいろな考え方がございますが、この憲法を改正することによって現在の憲法というものができたと考えるのが自然であるように思います。もちろん、この改正が果たして有効なものかという点について、石原先生は「あんなの無効だから総理大臣が無効だといえば破棄できるんだ」とおっしゃるわけですけれども、その辺りは、今日は踏み込むとそちらのほうに時間を取られてしまいますので、とりあえずは、改正前の憲法であるということだけ理解していただければと思います。

 この大日本帝国憲法というものが、西暦で申しますと1889年にできたわけですけれども、その際に、明治天皇がこの勅語(天皇のおことば)を述べられたわけでございます。そして、どういうことを述べられたかと申しますと、さきほど読んでいただいた通り、天皇陛下にとって一番の幸せというのは国民の皆さんが幸せになってくれることであり、そして、国民のほうもまた、天皇陛下ないし国のために皆で尽くすということで、君民がお互いに「思いやり」を持ち合って統治していきましょう、ということを、日本という国はずっとやってきたのだ、ということを述べられたのでございます。

 例えば、仁徳天皇という天皇がおられますけれども、仁徳天皇におかれては、民衆の家を見回ってみると、どうも飯を炊く煙が上がっていない。これは炊く飯すらもないのではないか、ということをご心配あそばされて、「しばらくはもう租税を徴収するのはやめよう」ということで、数年間租税を徴収するのをおやめになられて、数年後に国民が再び豊かな暮らしができるようになったので、それでは税を集めますよということにまた改めたところ、国民も喜んで租税を納めたということでございます。

 こういうふうに、お互いに、「もしかして国民が困っているんじゃないかな」とか、国民の側も、「国も租税がないと運営ができなくて困るんだろうな」とか、お互いがお互いを思いやって、お互いのためのことをするというのが、日本という国のもともとの統治のあり方だったと思うんですね。

 伊藤博文が大日本帝国憲法をつくるときに一番困ったのが、西洋にそういう考え方がないという点だったそうです。西洋においては、統治というと、どうしても上下関係で物事を考えたがるわけです。ドイツ語では「ヘルシャフト」(Herrschaft)といって、統治というのは「支配」であると考えるわけです。王は臣民を支配するというのが、もともとのドイツの国法学(憲法学)の発想であり、1800年代くらいまで家産国家論というのが唱えられていました。「家産」というのは「家の財産」を意味しますから、つまり、皇帝なり王様なり、あるいは地元の公爵とか伯爵とか、そういうのはすべて持ち主の家で、領土やそこに住む人たちを持ち物としていたということで、「支配」の関係だったわけです。ですから、さきほど申し上げたような「お互いがお互いのためを考えて」というような「思いやり」の発想は、この家産国家論からはまず出てこないですよね。やはり、こういう西洋にはない日本独自の考え方というのが、大日本帝国憲法発布勅語には表れているのだと思います。

 大日本帝国憲法の第1条というのは、天皇が統治権を総攬するという規定でございますけれども、ここでいう「統治」というのは、もともとの草案が「しろしめす」という和語を用いていたことからも分かりますように、まさにこのような日本独自の統治のあり方を指している言葉でございまして、これは、かなり伊藤博文が苦心して当てた漢語であるというように聞いております。しかし、憲法学というのはもともと西洋の学問ですから、その後ドイツから憲法学を導入していくにつれて、この「統治」という用語もどうしても西洋的な「支配」の意味で解釈されるようになってしまって、そのために、どちらがどちらを支配するのかいう、いわゆる主権論のお話が出てきてしまったわけです。だから、その系の議論として八月革命説のような変な学説が出てきてしまったわけですけれども、しかし、これはそもそも議論の立て方というか前提自体が間違っておりまして、この条文における「統治」というのは、もともと起草者の意思として、ドイツ的な「ヘルシャフト」の統治ではなくて、日本的な「思いやり」の統治のことを指していたわけなのでございます。

 やはり、そういうお互いがお互いの幸せを願い合う関係というのは、人間関係として長続きしますよね。どちらかが力で押さえつけてどちらかが搾取されている関係というのは、まぁ或る程度の期間は続くかもしれませんけれども、ずっと続くということはないわけでございまして、やはり人間というのは、「お互いがお互いを思いやる」ということで人間関係が成立するのではないかなと思います。やはりそれがあったからこそ、日本の国はずっと天皇陛下をいただく国であったのではないかと思うんですよね。


五 統治における「権威」と「権力」の分離

 それから、さきほどの「ヘルシャフト」の話ですけれども、もちろんヘルシャフトを行使する人というのは、日本においても実際にいたわけでございます。例えば、幕府といわれるものは基本的に軍事政権でございまして、軍事政権ですから、武力で人民を支配することで統治していたわけでございます。もちろん、文治政治とかいろいろなヴァリエーションがありますけれども、根本原理としては、武力を持って、刀を持って、逆らったら首を斬られるというところに、統治の根本原理があったわけです。

 もともとは、ご皇室もそういう武力による支配ということをしておりまして、例えばヤマトタケルノミコト(日本武尊)のお話は皆さまご存知だと思いますけれども、ヤマトタケルノミコトは景行天皇の皇子でございまして、日本のいろいろな所をまわって、武力で各地の豪族を倒すことによって、日本の国をつくりあげていく過程のお話でございます。したがって、もちろんさきほど述べたような「思いやり」の統治というものが根本原理としてありながらも、そういう「ヘルシャフト」の部分もまたご皇室は折に触れて使用してきたわけですけれども、だいたい平安時代くらいからこれがちょっと変わってきます。

 いわゆる摂関政治というものが成立して、藤原氏(藤原不比等の子孫)が実質的な権力を握るようになりますと、ご皇室ではなく、藤原氏の人々が、摂政や関白といった地位に就いて権力を行使する統治を行うようになります。統治ということの中身には、どうしても権力的な作用が入らざるを得ないわけですけれども、この摂関政治が成立する過程において、もともとご皇室が有していた統治の作用のうち、権力的な部分が別の主体(この場合には藤原氏)に移ったということになります。そして、統治の作用から権力的な部分を除いた「権威」の部分を天皇が担当すると、どうもうまくいきそうだということが、経験から分かってきたわけです。

 例えば藤原氏でいえば、天皇から摂政であるとか関白という位をいただくことにより、その権力が正統化されるわけですし、或いは幕府でいえば、天皇から征夷大将軍という位をいただくことにより、この武力支配は正統化されるわけです。こういう根本的な正統性を与える作用のことを「権威」と申しますが、日本国においては、根本的な、最高の統治権威を与えてきたのは常に天皇陛下でございまして、その代わり、「権力」については他の者が担当するということで制度的な分化が起こって、長らくそういう統治のスタイルを採ってやってきたわけでございます。

 現代では、権力分立(ぶんりゅう)とか三権分立と申しまして、国家権力というのは立法権と行政権と司法権の三つに分かれるわけですけれども、現行憲法上、立法権を担う国会という機関は天皇陛下により召集されることになっておりますし(7条2号)、行政権を担う内閣総理大臣についても天皇陛下により任命されるということになっておりますし(6条1項)、司法権を担う最高裁判所の長官もまた、天皇陛下により任命されるということになっております(6条2項)。このように、現代においてもやはり、国家の「権力」というものは天皇陛下から独立した別の機関が担いつつも、かつ、それらの機関に対して究極的な「権威」を与えているのは天皇陛下であるという統治のスタイルは、変わっていないわけでございます。

 実はイギリスにおいても、長い王制の歴史の中で、「君臨すれども統治せず」、つまり、権威と権力を分離して、権力の部分については王が担当しないというのがよいだろうということになって、そういう現在の統治のスタイルに落ち着いたわけでございます。イギリス以外においても、現在でも王室がきちんと残っている国というのは、ほとんどがそのような統治のスタイルを採用しております。そういうことにも鑑みますと、我が国の歴史において、統治における「権力」と「権威」をうまく分離することができたということは、日本という国を永続的なものにするのにあたって、大いに役立ったのではないかというふうに思うわけでございます。

 ちなみに、西洋のような「ヘルシャフト」、つまり「権力」による支配のことを、日本の昔の言葉では「うしはく」と呼んでおりました。これに対して、さきほど申し上げたような日本古来の「思いやり」の統治のあり方は「しらす」といいますが、この「しらす」の原理からすれば、やはり権力的な支配というのは逸脱した統治のあり方でございますから、我が国においては、「うしはく」という言葉自体は、伝統的に、非常にネガティヴな響きをもつ言葉とされてきたのでございます。神話におきましても、オオクニヌシノミコトが「うしはく」の統治を行っていたのを、ニニギノミコトが「しらす」の統治にあらためたというお話が出てまいります。そして、このニニギノミコトの子孫こそがご皇室でございまして、もともとは「あめのしたしろしめすすめらみこと」というのが天皇の呼び名でございましたが、この「しろしめす」というのは「しらす」のことでございますから、そもそもご皇室による統治のあり方というのは「うしはく」とは対局にあるものなのでございます。

 そういう意味で、ご皇室が権力的な統治作用をご担当されるというのは、そもそもからして不適切なことなのでございまして、そうであるとすれば、我が国において統治の作用の中から権力的な部分が分離されたというのは、或る意味歴史における必然の流れであったようにも思われるわけでございます。


六 「権威」の源

 こういうようなさまざまな理由があって、日本の国というのはこれまでずっと存在してくることができたわけですけれども、その長い歴史の中において、日本が初めて負けたのがさきの大戦(世界的にいえば第二次世界大戦、アジアとしてみれば大東亜戦争)でございます。元寇といって、元という国が攻めて来ても日本は負けなかったわけでございまして、初めて負けた相手がアメリカだったわけですけれども、そのときに、アメリカ人というのは日本人がとても怖かったわけなんですよね。

 日本人というのは本当に勇敢に戦って、アメリカにあれだけの恐怖を与えた国というのは、日本以外には歴史上存在しないわけです。『永遠の0』を読まれた方もおられるかと思いますけれども、いかにアメリカ人が日本人を怖がっていたかということがよく分かりますよね。日本人はものすごい技術力と精神力を持っていて、それがものすごい団結力を発揮しながらやってくるわけです。敵として、こんな恐ろしい敵はなかったのではないかと思います。

 或いは、『菊と刀』という本がありますけれども、そもそも我々日本人というのは西洋の発想とはまったく違う考え方で動いておりますので、アメリカ人は、日本人が何を考えているのかというのがまったく分からなかったわけでございます。人間、よく分からないものというのは本当に怖いわけでございまして、それで、日本人というものを分析しようと思って、ああいう報告書のようなものをつくって、少しでも怖さを軽減しようとしたわけです。

 まぁ、あの『菊と刀』というのは内容的には余り正しくないわけですけれども、いずれにせよ、アメリカ人にとって、日本人の勇敢さとか、技術力とか、精神力とか、団結力とか、未知の考え方とか、いろんな意味で日本人のことが怖かったわけなんですよね。だからこそ、ああいう報告書によって少しでも日本人を知ろうともしたし、他方で、原爆や東京大空襲等のアメリカ人が戦時中にやったことを考えますと、言葉は悪いですけれども、「この恐ろしい日本人を根絶やしにしたい」という気持ちも正直なところ抱いていただろうということは、何となく想像がつきます。まぁそこまで行かなくとも、「日本という国を完膚なきまでに解体して、日本人というこの恐ろしい存在が二度とアメリカに歯向かうことのないようにしてやろう」とも思っただろうなということは、容易に想像がつくわけでございまして、こういう恐怖の感情が、おそらくアメリカ人による日本占領政策の方向性を決めたのではないかと思うわけでございます。

 あのとき日本は無条件降伏をしましたから、日本において初めて外国が国民の統治権、支配権を握るということが起こったわけでございます。したがって、アメリカがGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)として法律を制定したり、行政をおこなったりしたのですが、そのときに、アメリカは神道指令というものを発したわけです。

 そもそも天皇陛下の権威というのはどこからやってきているかというと、さきほどの系図を見ても分かりますけれども、神様からいただいているものでございます。日本という国は、至るところに神社がございまして、非常に神様と一緒にいる感じがするのでございます。ドイツにおりますと、もちろん教会は街ごとにあって、あちらはあちらで宗教的な感じはするのですけれども、やはりちょっと雰囲気は違いますよね。日本の神様というのは、まぁ私の印象論ですけれども、非常に明るい感じがするイメージがございまして、やはり日本に帰って来るとパーッと明るい感じがするんですよね。そして、その明るい感じの源となっているのが神社なのではないかと思うわけでございまして、いろんな意味で神社というのは中心になっているのでございます。

 日本において一番根本となっている神社は、これはいろいろな考え方がありますけれども、私は伊勢神宮と考えるのがよいのではないかと思うのでございます。伊勢神宮というのは、アマテラスオオミカミを祀った神社でございます。そして、伊勢神宮も含めて、皇室の祖先神を祀る「祭主」というのが天皇陛下であったわけでございます。つまり、神様から権威をいただいているからこそ、天皇陛下は別の主体に権威を与えたり、或いはご自身でメッセージを発したりということもできるわけでございまして、さきほどお配りした「五箇条の御誓文」というのも、明治天皇が神様に誓うことによって、明治維新という改革を行うことができたわけでございます。そうすることによって、神様から正統性をいただいて、それを国内で断行することができたということでございます。

 そういう意味で、日本における「政」(まつりごと)というのは、「まつり」という言葉が入っている以上、これは、神様をお祀りするということなのでございます。そして、この日本で最も中心的な神様をお祀りする役目を与えられている神道の祭主が天皇陛下であられる、ということでございます。

 そして、この仕組みこそが、GHQの最も壊したかったものなのです。だからこそ、GHQは、神道指令を発し、憲法に政教分離を入れることで、神様と天皇陛下という両者の関係を断ってしまおうということを目論んだわけでございます。神道指令を実際に読んでみますと、「本指令ノ目的ハ宗教ヲ国家ヨリ分離スルニアル」ということがまさに書いてございますし(二(イ))、「伊勢ノ大廟ニ関シテノ宗教的式典ノ指令並ニ官国幣社ソノ他ノ神社ニ関シテノ宗教的式典ノ指令ハ之ヲ撤廃スルコト」ということも書いてございます(一(ニ))。そして、政教分離規定を憲法に挿入することにより、GHQは日本の国政の根本を永続的に解体することに成功したわけです。

 この政教分離の規定というのは、具体的には憲法の中にいくつかございまして、1つ目は、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」という23条1項後段の規定、2つ目は、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」という23条3項の規定、それから、3つ目は、「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」という89条の規定でございます。

 現在、保守の方々の中にも、この政教分離に賛成される方は結構おられます。特に、公明党を政府から排除したいということで、政教分離に賛成される方は結構おられますけれども、私はその考え方には賛同できません。やはり、日本が日本であるためには政教分離というものはあってはならないのでございます。ですから、憲法において改正すべき点は9条を含めていろいろありますけれども、一番大事なのはこの政教分離の規定を外すということだと思うのです。これこそが改正しなければならない筆頭格だと思うのです。

 大日本帝国憲法が制定されるときに、いろいろなことを伊藤博文はやったわけですけれども、彼はヨーロッパを見てまわって、天皇というものを大日本帝国憲法においてどう位置づけようかと考えていたわけでございます。その際に、ローマ法王を見て、このローマ法王こそがヨーロッパ人の精神的な基軸となっているということに気づいたのです。「日本における天皇陛下と同じではないか」ということに気づいて、それで、「日本国においては、天皇陛下こそが国民の精神的基軸となるということを、新しい憲法においても根本理念としなければならない」ということを考えたわけです。ですから、大日本帝国憲法というのはそういう精神に基づいてできているわけでございまして、だからこそ、政教分離などというものは、まったく入っていなかったわけでございます。

 私がドイツにいる間に、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世が亡くなられたことがございまして、その当時私はジャーナリストのようなこともやっておりましたから、かなりいろいろなメディアをチェックしたのですけれども、それが、私が小学校6年生のときに昭和天皇が崩御されたときの日本の雰囲気に物凄く似ていたのでございます。ですから、伊藤博文の言ったことというのはやはり正しかったということになりますし、伊藤博文が日本においてこういう憲法をつくろうとしたものが、きちんと今でも精神として生き残っているのだなぁと思ったりするわけでございます。ですから、そういうものは非常に大切にしていかなければいけないなということを思いますね。


七 大和魂

 それから、さきほど申し上げたように昨日は神話の紙芝居をやりましたが、戦前は、歴史教育においてきちんと神話のお話があったわけです。現在の歴史の授業においては、私もそうでしたけれども、神話について習うということはまったくないわけでございまして、これもまた、やはりGHQによって奪われたのでございます。彼らは教育「改革」といいますけれども、これは教育「改悪」にほかならないわけでございます。具体的に申しますと、これもまた神道指令において、学校において日本の神話に関する事項を教えることが禁止されておりますし(一(チ)柱書)、教科書などもGHQにより検閲されることになって、神話に関する事項にはすべて墨が塗られることになったわけでございます(一(チ)(1))。

 うちの支部の『党員手帳』の「名言集」においては、本居宣長という江戸時代の国学者(日本というのはどういう国なのかを研究する学者)の名言を一番最初に載せているのですが、それを読みますと、「道を学ばんと心ざすともがらは、第一に漢意(からごころ)、儒意を、清く濯ぎ去て、やまと魂をかたくする事を、要とすべし」とあるのでございます。さきほど総務局長から紹介がありましたように、私は翻訳家でございますので、かなりこだわって、翻訳家としてのこだわりなども持ちながら訳したのですが、そうすると、「日本のことを学ぼうとする者は、まずは、外国思想を選り分けてきれいに洗い流した上で、大和魂(やまとだましい)を強固にすることこそが重要である」ということになります。

 この言葉は『うひ山ぶみ』という本からの引用でございますけれども、この「大和魂」というのがどこに顕れているかということを、本居宣長はこの『うひ山ぶみ』の中において具体的に述べておりまして、それが『古事記』であり『日本書紀』であるわけだから、まずはこの二冊を読んでくださいという話が書いてあるわけでございます。言うまでもなく、日本の神話というのは、この『古事記』と『日本書紀』の二冊に書かれているわけでございます。

 大和魂、すなわち日本人としての心を養う上でどうして神話が大事かと申しますと、やはり神話というものがないと、「我々がどこから来たのか」ということがよく分からなくなってしまうということだと思うのです。石原先生がよく「アーノルド・トインビーという歴史学者は、12〜13歳くらいまでに神話を学ばなかった民族は100年以内に滅びると言っている」ということを講演等でお話になるわけですけれども、それは確かにそうなんだろうなということを思います。日本というのは島国ですから、他から隔絶されていて、割と日本人という意識が持ちやすいですけれども、やはり地続きの国などは、そういうちゃんとした神話がないとバラバラになってしまうのですよね。ですから、日本人をバラバラにするために、GHQなりアメリカというのは、神話を奪っていったのじゃないかなということを思うわけですね。

 ですから、日本にきちんとこういう神話のお話があるということは非常に大事なことだと思うわけですが、アメリカの占領政策によって、学校では習わなくなってしまいましたので、おまつりで紙芝居をやったりとか、そういう機会で伝えているわけですけれども、皆さまにおかれましては、ぜひ家庭教育において神話を伝えていっていただきたいと思います。我々としても、歴史の授業に採り入れるか、それとも別枠を設けるかという点は別として、神話というものを学校教育において行っていくということは大事であると思っておりまして、そうすることで、神話を教える学校教育に戻していかないといけないなと思うのでございます。

 それから、さきほど皆さんで一緒に読んだ「教育勅語」ですね。これも昭和20年にGHQの命令によって廃止されてしまったわけでございます。内容は皆さんご存知でしょうけれども、私のほうでも翻訳をつくりましたので、Cさん、翻訳のほうだけ読んでいただけますか。

Cさん「日本国民は皆、お父さん・お母さんに孝養を尽くしましょう、兄弟姉妹で仲良くしましょう、阿吽の呼吸をもった夫婦関係を築きましょう、友達同士で信頼関係を築きましょう、エゴイストにならずに謙虚に振舞いましょう、博愛の心で人々を愛しましょう、学問を修めて生業を身につけましょう、そうすることで自らの知識と能力を啓発しましょう、人格を磨き上げましょう、自ら進んで公益を増進して社会の役割を引受けましょう、常にこの日本国の国風を重んじるとともに法令を遵守しましょう、そして、危急存亡の秋には進んで公共のために尽くすことで、皆でこの日本国を永遠のものとしましょう」

 ありがとうございます。今聴いていて分かったと思いますが、社会人として非常に当たり前のことをいっているわけでございまして、なぜこれが廃止されたのかまったく理解できないというか、まぁ、日本という国は、非常に治安が良くて、人間関係もうまくいっていて、団結するともの凄く怖いので、そういう人間関係を破壊してしまえということを、おそらくアメリカは思ったのですよね。だから、こういう教育勅語のような善良な人間関係の基となっているものを破壊して、その代わりに、アメリカ的な、お金でいろんなものを買ったりするという文化を流行らせて、そうすることで、人間関係を、根本的なところで信用できないような人間関係に置き換えることで、日本人が団結してアメリカに歯向かってくることがないように、ということを多分考えたのだと思うのです。そのために、この教育勅語も奪われてしまったのですけれども、やはりこういうものも取り戻していくということを、次世代の党としてはやっていかなければならないなということを思っております。

 最初の話に少し戻りますと、結局、なぜ「ジャパン・アズ・ナンバーワン」というところまで拝金主義(経済だけのものの考え方)で来てしまったかということですよね。バブルの当時は、リゲインのCMなんかも「24時間戦えますか」というようなCMソングでございまして、やはり「家族なんかないがしろにして会社にずっと24時間いるのがいいんだ」みたいな、そういうかなり歪んだ価値観だったわけでございます。それが、今ではリゲインのCMもちょっと変わって、「24時間戦うのはしんどい」というCMソングになっていますよね。そこら辺もやっぱり、日本人の価値観が、教育勅語に謳われているような、会社での仕事一辺倒ではなく、家族とか人間関係とか、あるいは社会とか国家とかもきちんと大切にするような、まともな価値観に戻ってきたということではないかな、ということを思うんですよね。まぁバブルがいかに異常だったかということですよね。

 それから、次世代の党としては、家族制度の復活というプロジェクトを西田譲先生を中心に進めております。昔は日本というのは大家族だったのですが、それもやはりアメリカによって目の敵にされてしまったわけです。なぜかと申しますと、やはり価値観の継承というか、醇風美俗というか、日本はすごく良い文化をもっているわけですけれども、それが、おじいちゃん・おばあちゃんの世代と、お父さん・お母さんの世代と、お子さんの世代が同居していることで、おじいちゃん・おばあちゃんから自然に伝わっていく機会があったわけです。神話の話なんかも、おじいちゃんが子どもに神話の昔話をしてあげるとか、そういうのは昔は普通だったと思うのですよね。そういうのを核家族に置き換えていくことによって、価値の継承ということをできないようにしていこうというのが、多分アメリカの狙いだったのではないかということを思うわけでございます。

 ですから、やはり次世代の党としては、大家族というものを復活させることによって、しっかりと日本人としての価値を継承していくということを行っていかなければならないと思っております。

 例えば、現在朝日新聞の話が問題になっておりますけれども、ああいう風にメディアに影響されやすくなっている日本人というものの根本には、やはり核家族というものがあると思うんですよね。昔の日本とか価値観とかを知らずにメディアに接すると、どうしても影響されやすくなってしまう。朝日の話なんかは、おじいちゃんが実際に戦争に行っているわけですから、「あんなことあったの?」とおじいちゃんに訊いて、「なかったよ」となったら、それで解決してしまう問題なのです。そうではなく、おじいちゃん・おばあちゃんが家におらず、お父さん・お母さんしか家にいないと、お父さん・お母さんというのは戦後の生まれですから、戦争のことは知らないわけでございまして、それで朝日新聞なんかをとっていると、「こんなことあったのか」という話になり、「お父さんこんなことあったの?」と訊いても、「新聞に書いてあるし多分あったんじゃないか」と、こういう話になってしまうわけです。

 ですから、核家族というのはいろいろな意味で、日本のいいものを破壊してしまったんじゃないかと思うのですよね。ですから、次世代の党としては、西田先生中心に、是非がんばっていきたいと思っております。


八 「新保守」

 いま歴史の話が出ましたけれども、歴史については、アメリカが「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(War Guilt Information Program)という歴史の書き換えをやったわけです。あの戦争は普通に考えて、あんな原爆を落としたり、東京大空襲をしたりして、日本人の民間人を多数虐殺して、そういう悪いことをしたのは、どう考えてもアメリカなんですね。それでは我々はアメリカ人に対してあんなに民間人を多数虐殺するようなことをやったかといえば、やっていないわけなのですよね。

 ところが、何だか矛盾するお話ですけれども、やはりアメリカ人には良心があると思うのですよね。だからこそ、おそらく罪悪感みたいなものから逃れたいと思ったんでしょう。「悪かったのは日本人なんですよ」ということを、例えば、「日本人が悪かったから原爆落としました」みたいなことを言い始めて、それを、占領下において統治権力を持っていたアメリカが、日本の国の中で言論統制を行って、いまの憲法にも検閲はやってはいけませんよと書いてありますけれども堂々と検閲をやって、正しい情報を隠蔽して、間違った歴史に書き換えていくために、日本人が悪い悪いといって、教育なんかも、歴史教科書はみなそういう筋書きにしてしまったわけでございます。アメリカと日教組の関係というのは私はよく知りませんけれども、そういう間違った歴史観に基づいて日教組なんかも教育をしてきましたから、それで自国の歴史に誇りを持とうといっても、それはなかなかできないことですよね。

 やはり正しい歴史というものをいろいろな機会に明らかにしていく必要があると思いますし、今は韓国の慰安婦の話なんかを中心に我々としてはやっておりますけれども、将来的には、アメリカによって押し付けられたああいう歴史そのものを、正しい日本の歴史に戻していくということが必要なのではないかということを考えて、日々我々は行動しておりますので、今後の次世代の党にぜひご期待いただければと思います。

 さきほど総務局長に我が党の綱領を朗読していただきましたけれども、そういう本来のありのままの日本を取り戻していくということが、「新保守」でございます。次世代の党の要素は、「自立」・「新保守」・「次世代」ですけれども、一番大事なのは、やはり「新保守」の部分だと思うんですよね。自民党にも「保守」というのがあって、「保守本流」と呼ばれている人たちがおりますけれども、典型的には「宏池会」と呼ばれるグループですよね。いまはメディアでは「岸田派」と呼ばれております。

 どんな面々がおられるかといいますと、まず重要なところからいうと、宮澤喜一元首相ですね。この方は、韓国に行って、何の根拠もないのに「ごめんなさい」と8回謝って、慰安婦問題の元凶をつくった方ですけれども、これが自民党の「保守本流」であるわけです。あるいは加藤紘一元官房長官。この方は中国と非常に仲の良い方です。或いは、古賀誠元自民党幹事長。今の世代の方でいうと、岸田文雄外務大臣、塩崎恭久厚生労働大臣、小野寺五典前防衛大臣あたりですね。つまり、内閣改造前の安倍政権なんかは、外交も防衛もこの宏池会に握られていたわけですから、日本は非常に危なかったわけです。これでも、メディアからしたら「タカ派」の政権ということになるらしいですが、あんなのは実際にはタカ派でも何でもないわけでございます。我々からすれば、むしろあれで大丈夫なのかと心配になるくらいなのでございます。

 ですから、ああいう自民党の「保守」とは違いますよという意味で、「新」を付けて、我々は「新保守」としたわけです。これまで申し上げてきたような、戦後アメリカがつくって残していったものを守ろうというのが自民党の「保守」でございますが、そうではなくて、あれを壊して本来の「ありのままの日本」に戻していこうというのが、我々次世代の党の「新保守」であるわけでございます。ですから、「新保守」というのは、次世代の党の一番核心になる部分であると思っているわけでございます。

 というところで、時間がまいりましたので、講演のほうを終了させていただきます。ご静聴いただきまして誠にありがとうございました。(拍手)

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