中村ただしの初心(1) どのような思いで政治家を志したか

 「初心忘るべからず」という言葉があります。私がどのような思いで政治家を志したかということを、自分自身が忘れないようにという自戒もこめて、このウェブサイトに書き留めておきたいと思います。


 ——私が平成24年9月の維新の会の公募に応募しようと決意したのは、同8月の尖閣と竹島の事件がきっかけです。あのときの一連の経緯をあらためて記せば、以下の通りです。
  • 8月10日 韓国大統領(当時)の李明博が、我が国の領土である竹島に白昼堂々と不法上陸し、韓国国旗や「韓国領」などと記載のある石碑と記念撮影。
  • 8月14日 李明博(同上)が、我が国の天皇陛下を侮辱。
  • 8月15日 我が国の領土である尖閣諸島に中国人活動家が白昼堂々と不法上陸し、中国と台湾の国旗を掲揚。
 経緯を書いているだけでも、あのときの怒りがふつふつとこみ上げてきます。絶対に許せません。当時私はドイツからこの経緯を眺めていましたが、私の人生において後にも先にもこんなに悔しかったことはありません。ヤケ酒をあおり、男泣きに泣きました。民主党政権の所為で、もはや日本は自国の領土すらまともに守れない国になってしまった。それまでの自民党の外交もひどかったが、民主党の外交はそれに輪をかけてひどい。どうにかこの状況を改めなければ、私の愛する日本の国はもう終わりだ。何か自分にできることはないか。

 このような気持ちになっていたときに、ちょうど維新の会の公募の存在を知りました。私は日本の国、日本の領土を守りたいという一心で、維新の会の公募に応募しました。そして、この愛国・憂国の思いが届き、衆院選に出馬することとなりました。もちろん私は、「日本を守る」をスローガンに掲げて選挙戦を戦いました。皆さまもご存知の通り、日本で一番最初に尖閣を守るための具体的な行動を起こされたのは、東京都知事を務めておられた石原慎太郎先生です。この石原先生のもとで、維新の会の一志士として選挙戦を戦えたことは、今でも私の誇りです。——

 以上は、平成25年4月6日のブログ記事を抜粋し、最低限の字句の修正を施したものです。

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