平沼赳夫先生衆議院予算委員会質問(平成25年10月22日)


平沼委員 日本維新の会の平沼赳夫であります。

 まず、私から、台風二十六号でとうとい命を失われた方々の御冥福をお祈りしたいし、また、被害をお受けになった方々に心からお見舞いを申し上げたい、このように思っている次第であります。

 日本維新の会というのは、御承知のように、是は是、非は非というスタイルでいきます。野党でありますけれども、衆議院で五十三人、参議院で九名で、六十二名の世帯でありますから、我々は、与党自由民主党の政策でも、いいことであれば喜んで賛成をさせていただきたい、このように思っているわけでありまして、また、どうしても矛盾があって反対すべきは野党として反対をしていかなければならない、このように思っているわけであります。

 秋季例大祭の初日に、私は靖国神社に行かせていただきました。例年より非常に人が多くて、百五十六名の現職の国会議員が参列をし、代理を含めると優に三百人近い人数が集まったわけでありまして、礼拝殿のあの広間ではおさまり切れずに、脇の部屋にも国会議員が出てお参りをしたわけであります。

 安倍総理の真榊もお供えがあったわけでありますけれども、私は何か寂しい気がいたしました。やはり、私どもと考え方が同じ安倍総理というのは、心から靖国神社の英霊にお参りをしたいというお気持ちがあると思うんですけれども、今回も見送られた。また、閣僚も二人しかお参りをしていない。私は残念です。

 あそこに新藤大臣がおられますけれども、たまたま朝七時半に出発するときに同じエレベーターになって、モーニングを着て、立派な姿で頼もしいなと思ったわけであります。あそこにいる古屋大臣も、その翌日にお参りをした。彼も、新聞記者の質問に対しては、国に殉じてくださった御英霊に哀悼の誠をささげるのは当然だ、こういうことを言って毅然とお参りをされた、こういうことです。

 私は、安倍総理も心の中でお参りをしたいなと思っておられると思います。諸般の事情で今回は見送られたと思いますけれども、必ずお参りなさる、こういうことを信じているわけでございまして、私は毎年必ずお参りをさせていただいておりますけれども、そういう意味で、今後、安倍総理のお参りを心から期待をさせていただきたいと思います。

 きょうは、まず、憲法の問題についてお話をさせていただきたいと思っております。

 これは釈迦に説法になるかもしれませんけれども、私が一番問題にしているのは、今の現行憲法の成立過程なんです。

 これは総理自身も熟知していると思いますけれども、マッカーサー最高司令官が日本に来たのは、昭和二十年の八月三十日でした。そして、十月には、ポツダム宣言に乗って、憲法の改正をしろ、こういうことで当時の日本政府に言ってきたわけであります。

 これを受けて、国務大臣の松本烝治博士が作業に入りました。そして、翌昭和二十一年の二月に、日本の大新聞がスクープをして、松本国務大臣の甲案、乙案という試案というのは以下の内容であるというようなことを発表した。

 そして、松本烝治博士が、拒否されたときに、どういう理由で拒否をしたんですか、こう尋ねたら、もうおまえらには一切任すことはできない、我々がつくる、こういうことで、二月十二日までにつくれというマッカーサー元帥の指令がありました。皮肉なことに、二月十二日というのはアブラハム・リンカーン大統領の誕生日です。それまでにつくれという形で、民政局の十人の陸軍の将校と四人の海軍の将校、それに民政局のスタッフ、二十四名で、約一週間で、英文ででっち上げたのが今の現行憲法であった。これは歴史が証明しているわけであります。

 リンカーン誕生日の二月十二日にできたら、十三日に、当時、麻生先生のおじいさんだった吉田茂先生が外務大臣をしている麻布市兵衛町の外相官邸に乗り込んできて、カーボンコピーの英文の草案を見せて、俺らは空気を吸っているから、庭に出ているから、これを吟味して返事をしろ、こう言って庭に出ていった。そのときには、偶然かどうか知りませんけれども、超低空でB25爆撃機がその公邸の上を飛んで、威嚇をしたような状況でありました。

 松本烝治博士と吉田茂外務大臣、それにスタッフが見て、余りの内容に周章ろうばいをした。ころ合いを見計らって帰ってきて、そして恫喝に等しい言葉があったわけです。これをのまなかったら天皇を戦犯にするおそれだってあるよ、いかに連合国最高司令官といったって我々は限界があるんだから、よその国は天皇を戦犯にしろと言っているんだ、この憲法をのんでくれたらそういうことにはならない可能性があるし、また、一日も早く日本が自主的に独立できるんだと。言ってみれば、天皇陛下で恫喝をして、自主独立で懐柔をするようなことを言って、やむなくのんだという経緯があるわけであります。

 冒頭、私は、成立過程を問題にしている、こういうことを申し上げたわけでありますけれども、やはり国の基本法たる憲法というのは、その出自が大切であります。ですから、こういう歴史的過程をとった憲法というものは、総理、このことはよく御存じだと思いますけれども、法治国家の日本で国会議員をしておりますから憲法を守ることは当然ですけれども、しかし、九十六条というのがあって、改正規定もあるわけですから、自由に批判を述べていいと私は思っておりますので、この成立過程に関して、まず総理の所見をお伺いしたいと思っています。


安倍内閣総理大臣 成立過程においては、まさに日本が占領されていた時代でありますし、日本が降伏してから余り時間がたたない中において成立したのは間違いがないわけでございます。

 委員が御指摘のように、松本担当大臣のもとに日本の案を、甲案、乙案をつくる中において、たしか毎日新聞の西山柳造記者がスクープをするわけでありまして、このスクープを見たGHQ側が、もはや日本側に任せておくことはできないという中において、今おっしゃったように、ホイットニー民政局長そしてケーディス次長が中心になって二月四日にこれをつくるように指示をし、そしてでき上がったのが十二日、こう言われているわけであります。

 ちなみに、リンカーンの誕生日、ホイットニー民政局長はリンカーンを尊敬していたというふうに言われているわけでございますが、極めて少数、そして、憲法の専門家、国際法の専門家は一人もいなかったというのがファクトであろう、このように思うわけであります。

 この成立過程について、これを、成立過程が問題である、あるいは問題でないという議論が当然あるとは思いますが、しかし、この事実については当然認識をしておく必要はあるんだろう、このように思うところでございます。


平沼委員 正しい歴史過程に関する御認識をお持ちだということで、私も安心をいたしました。

 私は、出るまで二回落選をして、三度目の正直で衆議院に当選をして、自由民主党で真っ先に憲法調査会に入りました。しかし、当時の自由民主党というのは、私は改憲政党だと思って入ったんですけれども、護憲派が中に大分おりまして、そして、かんかんがくがくの議論の中で、大変どなり合いをしたりなんかした経験も持っているわけであります。

 護憲派の主張を聞くと、戦後一貫して現行憲法のもとで平和に過ごせたんだから、この憲法はいいんだというような論旨でありました。私は、その論旨に非常に残念だったわけでありまして、成立過程のことを一生懸命言ったことを覚えているわけでありますけれども、世界広しといえども、このような強権でもって押しつけられた憲法を持っている国というのは、私は皆無だと思っております。

 そういう中で、やはり日本は独立国なんですから、みずからの手に成る憲法をつくるべきだ、こういうことであります。

 私が当選した当時は、国民世論も五割を切る改正の意見がありましたけれども、現在は、六割を超えて七割に近い国民の皆さん方が、憲法を見直すべきだ、こういうような状況になってきて、一つの私はチャンスだと思っております。

 日本維新の会は、さきの通常国会で十四回、憲法調査会を開きまして、熱心に議論をしてまいりました。今の憲法は一章から十章まであるわけでございますけれども、そのほかに、前文と、非常事態の項目がないわけでありますから、非常事態という形で、十四日間熱心に議論をして、そして通常国会の終盤に中間報告を、全部のマスコミを呼んで発表しました。その中には、自民党の案と同じように、天皇陛下を元首にする、こういうことまで明記しているわけであります。

 しかし、マスコミというのは、日本維新の会の東と西の対立はすぐ記事にしますけれども、中間報告は一切記事にしない。私はこういうマスコミのあり方にも疑問があるわけでありまして、六十二名いる公党が中間報告で全マスコミを集めて発表したのに一行も書かないというのは私は異常な状況だと思っておりまして、あえてこのことは言わせていただきたいと思っているわけであります。

 我が党の共同代表の石原慎太郎氏は、憲法廃棄論、こういうふうに言っております。ハーグ条約だとかウィーン条約の中で、戦いに勝った国は負かした国の基本法の憲法は一切いじっちゃいけない、こういうことがあるんだから、今、成立過程で申し上げたように、一方的に強権でもって押しつけてきた、こんなのは全く無効なんだから廃棄すべきだ、そして、時代に合った憲法をつくるべきだ。法理論を言う法学者も、この方法に関しては異論を差し挟むことができない、そのぐらいのことなんだから、これをやるべきだ、こういうふうに言っております。

 本会議の石原さんの質問に対して、総理は答弁で、帝国議会で決めたことである、こういうふうに言われました。しかし、その帝国議会で決めたのも、強権のもとで決められたということは、私は事実だと思っております。

 しかし、私は、戦後、成立以来、あらゆる法律や条例さらには条約というものがこの憲法でできてきたんだから、一概に、今の憲法というのは廃棄することはなかなか問題があると思っておりまして、そういう意味では、総理が提唱している九十六条を改正してやろう、これは自由民主党の考えでありますけれども、この九十六条改正についての御所見をお伺いしたい、このように思います。


安倍内閣総理大臣 九十六条の改正については、これは御党と同じ考え方に立っていると言ってもいいんだろう、このように思うわけでございます。

 先ほど申し上げましたように、憲法の成立過程は、いわば日本が占領下にある中において成立をしたわけでございますし、その際、しかし、手続的には帝国議会において成立をしたということであり、既に成立をして六十有余年経ているということもあるわけであります。

 同時に、しかし、現行憲法をつくる際において、では、選挙において、まず、この憲法を帝国憲法から新しい憲法に変えるということを争点に国民に問うたかといえば、そうではないわけでありまして、つまり、これは、当時の占領国、連合国によってつくられたものに修正を加えたものを帝国議会で可決し成立せしめたということではないか、こう思うところでございます。

 そこで、九十六条については、衆参それぞれ三分の二以上の発議がなければ国民投票を行うことができないわけでございまして、ということは、衆参どちらかにおいて三分の一を少し超えれば、国民は指一本触れることができない。あるいは、五割、六割の皆さんがこれを変えたいと考えていたとしても、国民投票は行えないということはおかしいではないかという考えであります。

 もちろん、この改正を行うためにも、それぞれ衆参両院で三分の二を得て、そして国民投票を行うわけでありまして、その前に二分の一にするという誤解もあるようでありますが、まずは三分の二、三分の二という現行の規定どおりのハードルを越えた後、国民投票を行い、そしてそれを二分の一にする。

 しかし、二分の一にしたところで、今の国民投票の条件は全く変わらないわけでありまして、つまり、我々が目指すところは、憲法というのはやはり国民の皆さんに決めていただく。普通の法律は、国会において国会議員が決めれば、それで完結をするわけであります。憲法とは何かといえば、それは国民が決めるんです。国民投票によって国民が決める、この原点に戻ろうではないかというのが我々の考えである、こう思うところでございます。


平沼委員 我々の考え方とそう大差はない、こういうことで、今お話を伺って安心をしたところであります。

 次は、教育の問題についていろいろお話をしたいと思っているんです。

 私は、国語議連という超党派の議員連盟の会長をしております。今、東京の世田谷区が特区制度を利用して国語教育というのを行っているわけでありまして、議連の有志で、世田谷区立船橋小学校、一時間見学をしてまいりました。

 そのときに、こんなちっちゃな小学校二年生の子供に孟浩然の「春暁」という詩を教えていました。これは、

  春眠暁を覚えず
  処処に啼鳥を聞く
  夜来風雨の声
  花落つること知る多少

こういう「春暁」の詩を小学校二年に教えていた。

 小学校一年では四十字ちょっとしか学ばないですから、春暁の春という字はわかりますけれども、その次の眠るという、春眠の眠というのはわからないんですね。しかし、黒板に書いて、先生が、春眠というのは、春、眠ることですよ。暁というのは、みんな知らない、二年生だから。これは明け方を意味しますよ。それを覚えずということは、寝心地がいいから、明け方を知らないで寝過ごしちゃったというような、そういう意味ですよと言うと、二年生の頭に全部入るんですね、漢字を含めて。そして、一時限の授業が終了するときに、二年生の小学生が全部「春暁」の詩を暗記したんです。

 私はその授業を見ていてつくづく感じたんですけれども、幼児というのはこういう特異な才能を持っているなと。そして、江戸時代は、全国に二万あったと言われておりますけれども、寺子屋では読み書きそろばんと論語を教えた。このことがやはり日本人の資質を高めたんだ。だから、明治の近代化というのも、それをやり切ることができたというのは、こういう教養を当時の日本人は持っていたんだと。だから、私は、こういう教育は大切だなということをつくづく感じて、その授業を参観いたしました。

 授業が終わって、世田谷区の教育長といろいろ話をしました。そして、私どもから素朴な質問として、どうしてこの授業が世田谷区だけでしかできないんですか、もっとどんどん広めたらいいじゃないですかと言ったら、実は、この授業ができる教師を養成することが大変なネックになっているんだ、こういう話でした。ですから、その「春暁」の詩の授業、これができるまでには教師に二百時間勉強してもらった、こういうことなんです。

 私どもは、やはり今の日教組のあり方や教育委員会のあり方、例えば、残念な話ですけれども、百メートルの徒競走をすると、一番の子も足踏みをしてゴールの前で待っていて、びりの子供が来るまで待っていて、横に手をつないで一列で入る。子供に優劣をつけちゃいけない、こんな教育がまかり通っているわけであります。

 そして、日教組の先生方というのは、それはいろいろ異論があるかもしれませんけれども、教師というのは労働者だ、もうこういうことを言い切って、そして組合運動に専念をするというような、そういう状況に相なっているわけでありまして、私は、幼児教育の大切さというものを世田谷区立船橋小学校の授業参観で痛感いたしましたけれども、文部大臣の幼児教育に対する御所見をぜひお聞きしたいと思います。


下村国務大臣 ありがとうございます。私も、この世田谷区立の船橋小学校を視察したことがございます。これは、大臣になるかなり前の話でございますが。

 ここは、平沼先生御指摘のように、文部科学大臣が指定する教育課程特例校、特例制度に基づいて教科「日本語」を設置して、もう小学校一年生から、短歌や俳句、漢詩を音読、暗唱するなど、古典指導や日本の伝統文化に関する学習の充実を図っているということで、大変にすばらしい取り組みであるというふうに私も感銘をいたしました。こういうふうな取り組みがほかの学校でも行われるべきではないかというふうに私も考えております。

 幼児教育についても、幼児のときの教育というのは、一生、その後、大変な付加価値として成果、効果の高いものでございますし、もっとしっかりとしたことを取り組んでいかなければならないというふうに思っております。

 そのために、来年の四月から、ぜひ幼児教育の無償化に向けた第一歩を進めるように、今、文部科学省の中でも概算要求をしているところでございます。

 また、その中で、義務教育の一環の位置づけの前提条件の中で、さきの教育基本法の改正の中でも幼児教育の重要さというのは位置づけられました。

 今後とも、幼児のころからにおいても、より国が教育における充実について取り組んでいくようにしていくことが必要だと思いますし、それにしっかり取り組んでまいりたいと思います。


平沼委員 大変真摯に考えてくだすっているということで、安心をしたわけであります。

 鈴木鎮一という有名な先生がいて、これは日本よりも世界で有名なんですけれども、スズキ・メソードといって、バイオリンを通じての幼児教育というのが非常に大きな効果を上げています。

 私がその鈴木鎮一先生と対談をしたときに、彼は、バイオリンを弾く音楽青年で、長野県の出身ですけれども、名古屋に下宿をしていた。我々は何も気がつかないことですけれども、下宿の子供が三、四年たつと完全な名古屋弁をしゃべる、これは何かそういう特異な能力というものを幼児期に持っているんじゃないか。だから、下宿の子供に自分の得意なバイオリンを一曲教えたら、完璧に弾くようになった。これぞ幼児教育だということで、スズキ・メソードというのを開発して、日本でも盛大にやっていますけれども、世界で非常に評価されているわけであります。

 大阪に塚本幼稚園という幼稚園がありまして、私は行ってまいりました。幼稚園児ですから、さっきの小学校二年生よりももっとちっちゃな子たちが、そろって君が代を歌う。これは当然だと思いますけれども、あの長い教育勅語を全部言うんですね。麻生副総理も教育勅語が全部言えるということはよく知っていますが、これを黄色い声で全部やる。さらに驚いたのは、その幼稚園児が五カ条の御誓文まで全部言うんですね。私は、広く会議を興し、万機公論に決すべしというのはわかっていますけれども、そのほかのことはよくわからないですね。それも全部頭に入れているんです。

 ですから、幼児教育というのは本当に大切だと私は思っているわけでありまして、ゆとり教育なんかをやっている、そういう問題も含めて、この幼児教育に関して総理大臣の所見をお伺いしたい、このように思います。


安倍内閣総理大臣 まず、安倍内閣の基本的な教育における方針としては、誰もが日本に生まれたことに喜びを感じ、そして誇りを持つことができる、誇りに思うことができる品格ある国家をつくることを目指し、全ての子供たちが未来を信じ、それぞれの夢を実現できるよう、世界のトップレベルの学力と規範意識を身につける機会を保障することが教育の大きな目的であり、国にはその責任があると考えております。

 御指摘のように教育にはさまざまな課題があるわけでございますが、その中において、いわば幼児教育と、あと初等段階の教育は極めて大切である、このように考えております。どうあるべきかということを、今、下村大臣を中心に教育再生実行会議を設置し、そこで議論を進めているところでございます。

 今委員が御指摘になったように、幼児段階、初等段階において、私たちが思っている以上に子供たちは可能性を秘めているわけでございまして、私はかつて、四年ぐらい前ですが、広島の土堂小学校、陰山先生がかつて校長先生を務めていたところでございます、ここで子供たちが反復練習をしているんですが、そこでは、論語もそうでありますが、例えば地域の立派な人物、文化についても、みんな反復でこれは覚えているんですね。

 この反復練習というのは、記憶力を強化する、こう思いがちなんですが、実は、想像力、思考力を伸ばすことにも大きな影響を及ぼしているということが最近わかってきたわけでございまして、つまり、そこに、例えば寺子屋において四書五経を繰り返し暗記をさせた意味があった、こう言われているわけでございます。

 私の地元には、全日教連という非常に真面目な先生方の組合がございまして、常に教師はそういうスキルをみずから磨かなければいけないという問題意識を持って取り組んでもらっているわけでありまして、大変敬意を表したいと思うわけであります。

 萩の明倫小学校においては、小学校一年生に入ると、吉田松陰先生の言葉を一つずつ覚えていくということでありまして、一年に入ったときに一番最初に覚える言葉は、きょうよりぞ幼心を振り捨てて人となりにし道を踏めかしという言葉を、小学生がみんな実は覚えるんですね。

 ですから、そういうことを覚えながら、これは単に覚えるというよりも、実はそれは思考力を刺激しているということでもあるわけでございまして、こういう新たな教育のアプローチについて、しっかりと我々も、現場の先生たちとともに、どうあるべきか、そして、新たな、これはさまざまなアプローチがあるわけでありますから、研さんを進めていくことが大切ではないか、このように思うところでございます。


平沼委員 総理も幼児教育の大切さということをよく御認識されているということがわかりましたので、ぜひ幼児教育というものをしっかりと進めていただきたいなと思っております。

 次には、アベノミクスに関して御質問をしたいと思っているわけですけれども、確かに、三本の矢のうち、一の矢、二の矢というのはうまくいって、株は上がって、円は安くなった。輸出産業を中心にして日本の景気がよくなった。例えば、六十人の有識者会議でも、七割を超す人が、景気は回復しているというような認識を持ったようにも聞いておりますし、また、日銀の短観なんかでも、景気は上向いている。そして、GDPも三・八というような形で、いい状況になっているということなんです。

 私は、地元に後援会が四十二ございまして、国会がちょうど休みだったので、九月で三十ほど、ずっと郡部を訪ねていきました。そうしたら、郡部では景気回復の実感がほとんどないんですね。

 それで、彼らが言うには、第三の矢が明確じゃない、来年の四月から消費税を上げるということは非常に心配だ、よく橋本龍太郎内閣がそのことを言って、十五年デフレが続いたじゃないか。こういうふうなことで、地方というのは非常に疲弊しているという事実があるわけであります。例えば、朝刊では、日銀の発表でも、地方もだんだん景気がよくなってきつつあるというような発表が出たようでありますけれども、実感としてはなかなか厳しいわけであります。

 十二月の二十六日だったと思いますけれども、安倍内閣が発足をしたときに、国土強靱化という形で対策室をつくって、そして京都大学院の藤井教授というのが内閣の参与になっていろいろ発表しているわけであります。

 私も彼の著作を全部読みましたけれども、大変いいことを言っているわけですね。例えば、鉄筋コンクリートの寿命というのは約半世紀なんだから、そろそろ耐用年数、寿命が来てしまっている。ですから、言ってみれば、笹子トンネルの崩落事故なんというのも、まさにそれを象徴するようなものではないか。アメリカでも、ニューディールのときに、たくさん道路だとか橋だとか港湾だとかあらゆるものをつくった。橋梁もつくった。それが、五十年たって老朽化してきて、どうしようもなくなって、石油税を上げて、そしてその修復に努めた、こういうことなんです。

 私が後援会を回ってみて、まだ地方は疲弊している。そうしたら、やはり全国にわたって景気の浮揚策をやらなきゃいけない。この五月に強靱化の基本法が提出されたようでありますけれども、これを具体的にやっていくということを国民の前に明確に示していく必要があるのではないか、私はこのように思っているわけであります。

 もう一つ、日本は地震大国と言われていて、この前の東日本大震災も、太平洋から張り出してきているプレートと大陸から張り出してきているプレートが震源地のところでぶつかり合って、ひずみに耐えられなくなってマグニチュード九というような大地震が発生して、大津波も来たわけであります。ですから、今の免震構造だとか耐震構造というのは非常に発達をしているわけでありまして、これも全国にわたって、国と地方と民間が協力をして、そして具体的な対策ということを基本法に基づいてやっていくべきではないかと私は思います。

 そういう意味で、強靱化対策をやっていく古屋大臣に所見をお伺いしたいと思います。


古屋国務大臣 お答えさせていただきます。

 その前に、冒頭の平沼委員の憲法改正に関するお考えを聞きまして、私は改めて敬服をいたしております。

 初めて私が出馬させていただいたときに、平沼先生に御指導いただきながら、パンフレットに自主憲法制定と書いてありました。私も、みずからの手で憲法をつくろう、こう書きましたら、地元の方から、それよりもいろいろ地元の社会資本の充実をいっぱい書かなきゃだめだよと注意を受けましたが、二十三年たって、この憲法問題というのがなっている。これは平沼先生の御指導のたまものでございまして、感謝を申し上げたいと思います。

 その上で、御質問にお答えします。

 やはり日本は非常に災害の多い国ですよね。でも、その災害に打ちかっていくということも絶対に必要です。手をこまねいて待つのか。いや、事前にその対策を講じていくことによって、それはソフト、ハード両面、それによって、平時から結果として競争力を高めていく。そうすると、国も地方も、あるいは企業体も強靱性のある組織になっていく。そのことが、結果として私どもの成長戦略、アベノミクスにもつながっていく。

 これが、我々が国土強靱化を進める基本的な考え方であります。まず、絶対に人の命を守る。それから、致命傷を負わせない。それから、できるだけ被害を最小限にする、そして速やかに復活をさせる。これが基本的な考え。

 そのために、まず、あらゆるリスクを想定しました。そのリスクに対する脆弱性を評価して、では、そのために何を優先して講じていかなきゃいけないか、優先順位を考え、ABC、松竹梅で決めました。まず、松を徹底的に優先して取り組んでいこう、こういうことを決めて、概算要求にもそれがしっかりと反映をされているわけであります。

 昨日の委員会でも、国土強靱化で十年間で二百兆円の投資をするのは無駄なばらまきじゃないかというような御質問がありましたけれども、決してそういう発想ではありません。今申し上げたように、日本の成長力、そして強靱性を積むために、優先順位をつけて、重点化をしてやっていくということであります。ちなみに、過去、ガット・ウルグアイ・ラウンドのときには、十年間で四百三十兆円の公共投資をしているという現実もあります。

 今後は、今委員も御指摘がありました、議員立法で、減災、防災に資する国土強靱化基本法を提出させていただいて、速やかなる成立を心からお願い申し上げたいと思います。

 成立をさせていただければ、内閣総理大臣が国土強靱化本部長として、担当大臣を置いて、全閣僚が本部員になって、まさしくオール・ジャパンでこの強靱化に取り組む。そして、その上は、国土強靱化大綱をつくり、あるいは基本計画をつくる、こういう作業をさせていただきたいと思っておりますので、ぜひ御党におかれましても御支援をいただきますように。

 やはり、しなやかで、そして強い国や地域や企業体をつくる、これが私たちの強靱化の目的であります。


平沼委員 担当大臣から力強い御表明をいただいて、私もありがたい気持ちであります。

 日本維新の会としては、やはり公共事業というものもやっていく必要があるんじゃないかと。例えば公共事業費一つとっても、かつては十六兆に近いものがあったんですけれども、今は五兆程度になってしまって、地方の建設業者というのは仕事がなくて、あっぷあっぷの状況であります。ですから、そういう意味で、ばらまきだとか談合というような、そういう公共事業はだめだと思いますけれども、やはりしっかりとした形でこの対策というものを講じていかなければならない。

 ですから、私は、この経済対策の中で、減税というものも避けて通れないのではないか、こういうふうに思っておりまして、そういう意味で、そういうものが完備されれば私どもは賛成していくことにやぶさかではない、このように思っているところであります。

 オリンピックは、総理の大変な努力で決定をいたしました。施設費だけで四千七百億、こういうふうに言われておりますけれども、経済効果はばらつきがあって、三兆円と言う人もいるし百五十兆あると言う人もいます。これを、何にもしないと東京が全部享受してしまう。だから、せっかくの機会ですから、七年かかるわけですけれども、全部、地方がこのオリンピックの経済効果というものを受け取ることができるような仕組みをつくっていかなければならないと思います。

 サッカーのワールドカップのときも、たった一競技ですけれども、カメルーンが大分県に来るとか、そういう形で、全国が非常に繁栄をしました。オリンピックというのは一競技であるわけではないんですから、困っているいわゆる地方がこのオリンピックの経済効果というものを享受できるような方策もとっていただきたいと思っておりまして、そういうアベノミクス第三の矢に関しての決意を総理からお聞きしたい、このように思います。


安倍内閣総理大臣 オリンピック招致成功は、みんなで頑張れば夢はかなうということを国民の皆様とともに実感できた、招致成功はその瞬間だったというふうに思うわけでございます。

 確かに、オリンピックは都市が開催するものでありますが、これはオール・ジャパンでかち取った東京二〇二〇年のオリンピックでございますので、決して東京だけがその結果栄えるということになってはならないわけでありまして、東京オリンピックに向かって大きな目標ができましたから、そこに向かって、各地域がこのオリンピックの効果を享受できるようにすることが我々の大きな責任であろう、このように思います。

 かつて、サッカーのワールドカップで我々も経験をしました。各地域がさまざまな選手を受け入れる、キャンプを受け入れる、そして担当の国を決めるということをやったわけでございます。

 そういう意味におきましては、これはさまざまな競技があり、そして、もっともっと多くの人々が世界じゅうからやってくるわけでございますから、それぞれの都道府県がそれぞれの国を担当するとか、さまざまなアイデアをどんどん出していただき、そういうアイデアを活用しながら、各地域が七年後に向かってさまざまな施策を考えながら。

 これは、来年からもうそういう影響が出る、割と早目に、観光客はオリンピックより前倒しで相当ふえていくという効果が出てくるわけでありますから、東京だけではなくて、例えば岡山県とか、そういうところがどこかの国を受けます。あるいは、東京オリンピックを契機として日本に興味を持った、あるいは文化に興味を持った方々がそれぞれの地域を訪れるような、そういう工夫をしていきたい、そして、それを日本の成長につなげていきたい、こう考えております。


平沼委員 この件に関して、麻生副総理や国土交通大臣にも同様のことをお聞きしたかったんですけれども、あと五分しかございませんので、拉致議連の会長をしておりますから、拉致の問題についてお話をさせていただきたいと思います。

 二〇〇二年の、五名の被害者が帰ってくるというようなことは、当時官房副長官だった総理が大変努力をされて、それが実ったわけであります。そのときに、八名に関しては、金正日は、死んじゃった、こういうことを言って、もう北朝鮮では拉致のにおいすらしない、こういうふうにほざいているわけでありますけれども、脱北者なんかの話を聞くと、横田めぐみさんを初めとして、ほとんどの人が生きている、こういう状況であります。

 ですから、今は、拉致議連で大変努力をして、古屋大臣なんかも努力をしたわけでありますけれども、特定船舶入港禁止法でありますとか改正外為法なんというのをつくって経済制裁をやって、これはそれなりに効き目があるわけであります。

 仄聞するところによると、自衛隊の人たちも、許されれば、不当なあの拉致に関しては自分が行って救出してきたい、こういうことを言い切っている人もいるわけであります。ただ、法治国家で、その法整備ができていないわけでありまして、この問題、安倍総理も古屋担当大臣も、この代で解決をしたい、こういうふうに言っておられますので、ぜひ拉致問題についての決意をお聞かせいただきたい、このように思っておりますので、よろしくお願いします。


安倍内閣総理大臣 小泉総理とともに平壌を訪問してからもう既に十一年が経過をしているわけでございまして、いまだに北朝鮮側から死亡したと言われた方々を奪還できていない。大変残念でならないわけでございます。

 被害者の御両親、だんだん年を重ねてこられました。自分たちが元気なうちにという思い、我々も痛いほどこれは感じているわけでありまして、そこにおいては平沼会長と同じでございまして、私たちは、ずっと一緒にこの問題に当たってきた古屋圭司議員を拉致担当にしたところでありまして、安倍政権の間にこの問題を解決させていきたいし、めぐみさんの御両親を初め拉致被害者の御家族の皆さんに、みずからの手で子供たちを抱き締める日が来るまで我々のその使命は終わらない、こう決意をしている次第であります。

 いずれにせよ、この問題は、圧力に重点を置いた、対話と圧力の姿勢でしか解決しないわけでありまして、金正恩氏に、この問題を解決しなければ北朝鮮の未来はないんだということをしっかりと認識していただいて、この問題に真正面から取り組んでもらえるように全力を尽くしてまいります。


平沼委員 大変力強い決意を聞かせていただきました。

 最後に、古屋担当大臣も決意を述べてください。


古屋国務大臣 平沼議員におかれましては、拉致議連会長として、私どもと一緒になってこの問題の解決のために取り組んでいただいている。感謝を申し上げます。

 ただ、残念ながら、まだ解決に至っていない。これはじくじたる思いでございます。

 私は、七百二十二人国会議員がいる中で、安倍総理がこの拉致問題に一番思い入れの強い議員だ、そう確信をいたしております。第一次安倍内閣のときに、拉致対策本部ができて担当大臣が置かれました。七年前でございます。

 しかし、その後、残念ながら、政権が不安定になりまして、ほぼ毎年、総理大臣がかわってしまいました。

 今般は衆参両院の選挙において私どもに客観的に安定した数字をいただきましたので、今こそ、この拉致問題を解決するチャンスだと思っております。ぜひ、平沼議員におかれましても、御党におかれましても、拉致被害者を全員取り戻す、我が政府の今度の基本方針は、政府認定の有無にかかわらず、全ての被害者を取り戻す、そのためにありとあらゆる政策を講じていく、手段を講じていく。それは手段でありまして、目的は、全ての拉致被害者を帰す。

 今、時間がないということもおっしゃいました。そのとおりであります。

 しかし、私が一つここであえて申し上げたいのは、前政権のときに松原元担当大臣が、拉致被害者家族がいなくなってから拉致被害者が戻ってきても解決ではない、これは、北朝鮮、日本に残る永遠の問題になってしまうと、非常に勇気ある発言をしていただきました。すなわち、時間のないということは北朝鮮も同じだ。私たちは、政権がかわってもこの考え方をしっかり共有していきたいというふうに思っております。

 ぜひとも、オール・ジャパンで、この拉致被害者を取り戻すためにみんなで頑張ってまいりたい、よろしくお願いを申し上げたいと思います。


平沼委員 終わります。どうもありがとうございました。

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